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2017.03.12

春の足音が・・・そして悠久の彼方へ

10.03月、2017
院長の小倉です。例年に比べると不順な気候ですが、それでも少しずつ街にも海・山にも春の兆しが感じられるようになりました。私は、父の出身が千葉県館山市の九重というところでしたので、菜の花や、蕗の薹、山菜などを採りに出かけ、春の到来を感じていましたが、昨今は前回のブログにも取り上げられているように花粉症がその目安になってしまっているようでなんとも風情に欠けているなと感じている次第です。
ただ、花粉症を含めたアレルギー性鼻炎等の疾患は、これまで何回もブログやH.P.の「矯正治療の豆知識」のページでも触れておりますが、口呼吸を誘発し矯正治療を難しくしてしまう原因となりますので、くれぐれも花粉対策(正しい方法で行なう鼻うがいやマスク、早めの抗アレルギー剤の服用など)を怠らないようにしましょう。
さて、テーマが花粉ばかりになると飽きてしまうといけないので、今週は、上記で館山に触れておりますので、私(小倉家)の歴史についてNHKで放映している「ファミリーヒストリー」風にまとめてみたいと思います。(ネタが切れたのか強引な展開)
館山は、「房州」古くは、「安房の国」と称されて、東京湾と太平洋に挟まれ、西からのヒト・モノ・文化を黒潮の流れが運んできてくれる土地でした。平安時代の頃よりその地理的な利点を求めて、地元の豪族を初めとして対岸の三浦氏更には、北条氏・足利氏・上杉氏などが覇権を争ったようです。
そんな中、関東足利氏の系列である里見氏が台頭してきて里見義実の代に房総里見氏を確立しその後十代続いたと言われています。そして時は、西暦にすると1500年前半、つまり今から約五百年前の頃その四代目の義豊に仕えていた小倉民部定光が小倉の祖ではないかと思っております。
というのは、子供の夏休みの自由研究を手伝ったときに、タイトルは、あの有名な滝沢馬琴作の「里見八犬伝」についてでしたが、たまたま私が父より小倉家のご先祖様は里見の殿様の側室だったんだ、と聞かされていたので、もう少し詳しく知りたいなと親の私が思ったからでして、その際館山市立博物館出版の「さとみ物語」という本を参考にしたのですが、そこには父から聞いていた先祖についての情報と一致する内容が書かれておりました。・・・・・・つづく。

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